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内藤政脩 : ミニ英和和英辞書
内藤政脩[ないとう まさのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [しゅう]
 【名詞】 1. dried meat 2. dry up

内藤政脩 : ウィキペディア日本語版
内藤政脩[ないとう まさのぶ]

内藤 政脩(ないとう まさのぶ)は、日向延岡藩の第3代藩主。延岡藩内藤家宗家8代。
== 生涯 ==
宝暦2年(1752年)10月25日、尾張名古屋藩徳川宗勝の十四男として名古屋で生まれる。幼名は徳十郎、元服時に、次兄で尾張藩主を継いだ徳川宗睦より偏諱を与えられて松平睦精(ちかきよ/よしきよ)と名乗る。明和7年(1770年)に延岡藩の第2代藩主内藤政陽養子となり、内藤政脩に改名した。10月29日に政陽が隠居すると家督を継いだ。
天明の大飢饉による大被害で農村は荒廃した。このため、藩財政がさらに悪化したため、御用金・献上金などで急場をしのいだ。安永2年(1773年)からは新田開発を行ない、倹約令を出し、文武を奨励し、風紀粛清のために「延岡若蓮中議覚書」を出しているが、いずれもほとんど効果はなかった。寛政2年(1790年)8月20日、養子の政韶(養父・政陽の長男)に家督を譲って隠居する。
文化2年(1805年)7月24日、延岡で死去した。享年54。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内藤政脩」の詳細全文を読む




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