|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 内 : [うち] 【名詞】 1. inside ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 時 : [とき] 1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment
内藤 時浩(ないとう ときひろ 1963年2月2日 - )は、日本のゲームクリエイター、プログラマである。名古屋市出身。M2所属。 旧T&E SOFTにおいて、ハイドライド・DAIVA・アンデッドライン・ルーンワースなどの作品を手掛ける。特にハイドライドは世界で初めてアクションロールプレイングゲームを定義づけて、アクションロールプレイングゲームの原典と呼ばれている。通称「ナイトーちゃん」。 == 略歴 == 中学3年生の頃に初めてパソコンと出会ったが成績はそれほど良くなく、担任に「お前はここしかない」と言われ倍率1倍を切る某高校の機械科に進学する。 高校時代はコンピュータクラブに所属しながら、いくつかのゲームコンテストに応募する毎日を送っていた。 高校卒業後はコンピュータと全く関係ない鉄工所に就職してシャフトの研磨や穴あけなどの仕事をしていたが 1983年に上司とケンカして「やめたるがやぁ」と辞表を出したその日のうちにT&E SOFTへ電話をかけた。T&E SOFTを選んだのは、名古屋でプログラマーを募集していた会社がT&E SOFTしか無かったからである。 当時のT&E SOFTにはプログラマーが2人しかおらず、入社してすぐにスターアーサー伝説II『暗黒星雲』の開発を手伝った。次にコスモミューターを制作している。その制作の合間に日本初のロールプレイングゲームであるブラックオニキスに魅せられ、会社内でロールプレイングゲームの布教をしていた。副社長の横山英二から「絵の動かないゲームなんてやりたくないからアクションゲームのロールプレイングゲームを作ってよ」と言われ、内藤は横山英二の言葉から「今までアクションゲームを遊んできた者が、いきなり自由度の高いロールプレイングゲームを遊ぶのは難しい、それよりも基本構造をアドベンチャーゲームのような一本道のシナリオにして、アイテムをすべて自動で使いながら戦闘はアクションゲーム化する。ロールプレイングゲーム要素は経験値による成長のみとするほうが良い」と考え、ブラックオニキスとドルアーガの塔をヒントに、実質3ヶ月で世界初のアクションロールプレイングゲーム『ハイドライド』を完成させる。 ハイドライドは1984年12月13日の発売以来パソコンゲーム雑誌のランキングに2年間載り続け、当時の雑誌はその現象を「ハイドライド・シンドローム」と呼んでいる。 ''この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる。'' 2010年8月よりチュンソフト名古屋開発部(2012年4月よりスパイク・チュンソフト第三開発グループ)に所属し、風来のシレン4のPSP移植版ディレクターなどを勤めた。2014年7月現在はM2所属。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤時浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|