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内藤良一 : ミニ英和和英辞書
内藤良一[ないとう りょういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [いち]
  1. (num) one 

内藤良一 : ウィキペディア日本語版
内藤良一[ないとう りょういち]

内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 - 1982年7月7日)は、日本陸軍軍医中佐1950年には日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)を設立している。医学博士
== 経歴 ==
京都府綾部出身。茨木中学旧制三高を経て、1927年(昭和2年)京都帝国大学医学部に入学し、そこで陸軍委託学生(卒業後陸軍に入ることを条件に学資の給付を受ける)になる。1936年(昭和11年)に京大大学院を卒業。「バクテリオファージ研究補遺」で医学博士となる〔バクテリオファージ研究補遺 内藤良一 著 国立国会図書館〕。
1937年(昭和12年)からヨーロッパアメリカでの研究、情報収集を行った後、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験に関与した〔青木冨貴子 『731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』 新潮社 2008年、352頁〕。帰国後、東京戸山陸軍軍医学校で終戦まで軍医教官として勤務した。
1945年(昭和20年)、内藤は731部隊が主導した細菌戦および人体実験に関する重要参考人としてGHQの尋問を受けた後、731部隊の組織図を提出し、人体実験の事実を大筋で認めた(ただし、細菌部隊に関するアイデアはすべて731部隊の部隊長であった石井四郎中将のものだったと主張している〔)。その後は京都大学医学部で小児科の臨床を学び、京都市で小児科医をしていた。戦後の飢餓の中で、輸血さえできれば命を救える婦人や子供の患者に血液銀行の必要性を痛感し、神戸銀行の出資を得て1950年(昭和25年)に日本最初の血液銀行として株式会社日本ブラッドバンクを設立。その後日本各地で民間や公共の血液銀行が創立され競争が激しくなると、内藤は日本ブラッドバンクの事業の柱を人工血液製剤製造に移し、その承認を厚生省に求める際に(内藤自らの希望で)最初に内藤自身が治験第一号になっている。
1982年(昭和57年)、死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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