翻訳と辞書
Words near each other
・ 内藤裕文
・ 内藤裕紀
・ 内藤記念くすり博物館
・ 内藤記念館
・ 内藤証券
・ 内藤誉三郎
・ 内藤誠
・ 内藤謙
・ 内藤豊次
・ 内藤貞勝
内藤貞幹
・ 内藤貴明
・ 内藤資忠
・ 内藤輝彦
・ 内藤道雄
・ 内藤邦男
・ 内藤邦裕
・ 内藤重人
・ 内藤重頼
・ 内藤長好


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

内藤貞幹 : ミニ英和和英辞書
内藤貞幹[ないとう さだよし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [みき]
 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base 

内藤貞幹 : ウィキペディア日本語版
内藤貞幹[ないとう さだよし]
内藤 貞幹(ないとう さだよし、延享3年11月15日1746年12月26日)- 安永7年6月23日1778年7月17日))は、陸奥湯長谷藩の第6代藩主。紀伊紀州藩主・徳川宗直の六男。正室は土方雄端の娘。子は4男1女で内藤政為(長男)、内藤政広(次男)、内藤政吉(三男)、内藤政偏(四男)、娘(長谷川勝浮正室))。官位は従五位下、主殿頭伊賀守、因幡守。
宝暦10年(1760年)12月、第5代藩主・内藤政業が、宝暦11年(1761年)に徳川家治御目見した同年の11月14日に隠居したため、その跡を継いで養子となり叙任された。安永7年(1778年)6月23日に死去した。享年33。
跡を次男・政広が継いだ。法名は徳本院殿有隣鬢山大居士。墓所は神奈川県鎌倉市の光明寺。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内藤貞幹」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.