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内藤 頼直(ないとう よりなお)は、幕末の大名。信濃高遠藩の第8代(最後)の藩主。高遠藩内藤家13代。 == 略歴 == 天保11年(1840年)、第7代藩主・内藤頼寧の七男として生まれる。兄・頼愛が早世したため世子となり、安政6年(1859年)に父の隠居により家督を相続すると、翌万延元年(1860年)、藩校進徳館を開闢した。 文久元年(1861年)の和宮下向の際にはその負担を務めた〔長谷川『シリーズ藩物語 高遠藩』、P181〕。文久2年(1862年)の生麦事件では幕命により万一に備えて藩軍を動かした〔長谷川『シリーズ藩物語 高遠藩』、P183〕。天狗党の乱では藩の要人が無難なく収めた〔長谷川『シリーズ藩物語 高遠藩』、P185〕。また幕府の長州征伐にも参加している〔長谷川『シリーズ藩物語 高遠藩』、P186〕。 慶応4年(1868年)の戊辰戦争では官軍につき、戦功で賞典金2000両を下賜されている。藩軍は北越・会津戦争に出動して西園寺公望を助けるなど活躍した〔長谷川『シリーズ藩物語 高遠藩』、P180〕。明治2年(1869年)、版籍奉還で高遠藩知事となり、明治3年(1870年)に藩制を新たに定めている〔長谷川『シリーズ藩物語 高遠藩』、P201〕。 明治4年(1871年)7月14日に廃藩置県で免官となった〔。明治12年(1879年)に没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤頼直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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