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内離島(うちばなりじま)は、日本の南西諸島、沖縄県八重山郡の西表島の南西2kmに位置する無人島である。 沖縄県八重山郡竹富町字西表の一部。北西200mほどにあり、同じ字西表の一部となっている外離島との間には遠浅で小さな砂嘴が形成されており、古くから対の島として認識されてきた。 == 概要 == 北西・南東の距離が約2.7km、幅は1km。地質的には、大半が西表島の西部と同じ砂岩を主とした八重山層群である。海岸砂丘の発達した北側以外は海岸が急な崖となっており、避難港の船浮湾に面した南側は100m以上もの落差がある。また、北岸には15-16世紀の集落跡の成屋遺跡がある。東には西表島、西には外離島があり、その間はいずれも200mほどの遠浅の海である。西表島の船浦とともにニッパヤシの北限地である。 古くから、干潮時には外離島との間を歩いて渡れる事が知られていた〔『両島絵図帳』〕。正保年間には無人島だったが、後に北岸の平地部に西表島から入植者が移住し、成屋集落が形成された〔『正保国絵図』〕。島内でイノシシが根絶した雍正8年(1730年)頃に移住があったとみられる〔『慶来慶田城由来記』〕が、成屋集落は1920年(大正9年)に廃絶した。 1886年(明治19年)から1945年(昭和20年)にかけて、石炭を含む薄い地層がある事から西表炭坑の一部として採炭事業が行なわれていた。石炭積込のために仮桟橋が設けられ、大型船の入港が続いた。第二次世界大戦中には船浮湾の基地防衛のため、砲座や通信施設などが設置されて軍人が居住していた。終戦後はアメリカ軍に接収され、1949年に炭坑を再開したがうまくいかず民間へ払い下げられた。1953年に琉球興発が事業を再開したものの採算が合わず1960年に休止状態となり島は急速に過疎化、1982年より無人島になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内離島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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