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圓山 溟北(まるやま めいほく、文政元年5月5日(1818年6月8日) - 明治25年(1892年)5月31日)は江戸時代後期から明治時代に佐渡島で活動した儒学者、教育者。名は葆(しげる)〔『山水と人物』〕、字は子光。初名は三蔵、後に三平。別号は二十八浦釣叟、囂々居士、赤川半隠、学古主人、松窓隠士、書斎号は清音楼、何陋軒、与古為徒斎、舳羅海屋、浮海窩、矯哉矯堂等〔『年譜』〕。諡号は文淑先生。贈従五位。 == 概要 == 江戸時代後期、佐渡国に生まれ、儒学者丸山学古の養子となった。江戸で佐藤一斎、亀田綾瀬に学んだ後、帰島して養父の学古塾を再興し、後佐渡奉行所に取り立てられ、修教館教授を務めた。明治時代には新政府下で神職を歴任し、また公立学校や私塾で教育を続けた。 明治時代に活躍した佐渡出身者はほとんどが溟北の門に学び、「明治の新佐渡を造り出す者は、圓山溟北なるべし。維新前後、新人物、彼の提撕を受けざる者殆んど稀也。溟北の佐渡に於けるは、吉田松陰の長州に於ける、西郷南洲の薩州に於けると、相似て、彼は新人物の木鐸たり。」と評された〔『旧藩と新人物』(四十二) p.341-344〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「圓山溟北」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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