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圓照寺(えんしょうじ、円照寺)は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山(ふもんざん)。斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿(山村御所)。 三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する「月修寺」は、圓照寺をモデルに描かれている〔(有元、2009)、pp.7 - 11〕。非公開寺院のため拝観は不可となっている。 == 歴史 == 後水尾天皇の第1皇女であった文智女王(幼名・梅宮)は、寛永17年(1640年)、22歳で一糸文守(仏頂国師)を師として出家し、大通文智尼となった。大通文智は翌寛永18年(1641年)、京都の修学院の地に草庵を結んだ。これが圓照寺の始まりである〔『日本名刹大事典』、p.58〕。 明暦元年(1655年)、後水尾による修学院の山荘(修学院離宮)の造営にともなって圓照寺は移転を迫られ、翌明暦2年(1656年)、継母である中宮東福門院(徳川秀忠の娘)の助力により、大和国添上郡八嶋の地(奈良市八島町)に移り、八嶋御所と称した。さらに、東福門院の申請により、幕府から200石(のちに300石に加増)の寄進を得て、寛文9年(1669年)、八嶋の近くの山村(奈良市山町)の現在地に再度移転した。以後も歴代住持として皇女が入寺し、山村御所と呼ばれた〔『日本名刹大事典』、p.58〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「圓照寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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