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寂照(じゃくしょう、応和2年(962年)頃? - 長元7年(1034年))は、平安時代中期の天台宗の僧・文人。参議大江斉光の子。俗名は大江定基(おおえ の さだもと)。寂昭・三河入道・三河聖・円通大師とも称される。 == 経歴 == 文章・和歌に秀で図書頭・三河守を歴任、従五位下に至る。 三河守として赴任する際、元の妻と離縁し、別の女性を任国に連れて行ったが、任国でこの女性〔都から連れて行った女性(『今昔物語集』)、赤坂宿の遊女力寿(『源平盛衰記』七、『三国伝記』十一)、の2つの説がある。『道済集』に、参川入道(寂照)が任地に連れてきた女性が亡くなった後に、都の姑の所に行き、再び任地に戻った際に詠んだ和歌が記されていることから、京から連れて行った女性の説が正しいと考えられている。(竹鼻績『今鏡(下)』講談社学術文庫、1984年)〕が亡くなったことから、988年(永延2年)寂心(=出家後の慶滋保胤)のもとで出家し叡山三千坊の一つ如意輪寺に住んだ。その後横川で源信に天台教学を、仁海に密教を学んだ。 1003年(長保5年)宋に渡海し、蘇州の僧録司に任じられ真宗(しんそう)から紫衣と円通大師の号を賜った。また、天台山知礼から源信の天台宗疑問27条への回答とその解釈をえた。日本へ帰国しようとしたが、三司使の丁謂(ていい)の要請により、蘇州呉門寺にとどまった。その後、日本に帰国する事がないまま杭州で没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寂照」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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