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写真分離派 : ミニ英和和英辞書
写真分離派[しゃしん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しゃ]
 【名詞】 1. photograph 2. copy 3. transcribe 4. duplicate 5. reproduce 6. trace 7. describe 8. picture 
写真 : [しゃしん]
 【名詞】 1. photograph 
: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
: [ぶん, ふん]
  1. (n,n-suf,pref) (1) part 2. segment 3. share 4. ration 5. (2) rate 6. (3) degree 7. one's lot 8. one's status 9. relation 10. duty 1 1. kind 12. lot 13. (4) in proportion to 14. just as much as 1
分離 : [ぶんり]
  1.separation 2. detachment 3. segregation 4. isolation, 5. dissociated, dissociation
分離派 : [ぶんりは]
 【名詞】 1. separatists 2. secessionists
: [は]
  1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school 

写真分離派 ( リダイレクト:フォト・セセッション ) : ウィキペディア日本語版
フォト・セセッション[は]

フォト・セセッション(フォト=セセッション、写真分離派。Photo-Secession)は、ニューヨークに存在したピクトリアリスムを標榜する写真家のグループ。
アルフレッド・スティーグリッツエドワード・スタイケンアルヴィン・ラングダン・コバーン、フランク・ユージン(Frank Eugene; 1865年-1936年)、クラレンス・H・ホワイト(Clarence H. White; 1871年-1925年)、ガートルード・ケーゼビア(Gertrude Käsebier; 1852年-1934年)らが中心となり、1902年に結成。他に、ハインリッヒ・キューンカール・ストラスなども参加。
機関紙として「カメラワーク」(Camera Work)を1902年に刊行(年4回刊行を基本として、1917年まで全50号を刊行。ただし、合併号に2号分のナンバーが振られていたり、ナンバーの振られていない特別号が存在したりする)、展示スペースとしてニューヨークに「フォトセセッションの小ギャラリー」(Little Galleries of Photo-Secession)を1905年に開廊(1908年291ギャラリーと改称、1917年に閉廊)。なお、カメラワークについて、1903年に刊行が開始されたとする文献もあるが、創刊号は1903年1月号であるが、その号の実際の刊行時期が1902年12月である、というのが、正確なところである。
ロンドンのグループ「リンクト・リング」(Linked Ring。1892年-1909年)とともに、ピクトリアリスムを展開する2大勢力として、ピクトリアリスムの普及に大いに貢献した。
1910年には、ピクトリアリスムの集大成としての企画、ニューヨーク州バッファローのオルブライト・アート・ギャラリーで開催された「絵画主義写真国際展」(The International Exhibition of Pictorial Photography at Albright Gallery, Buffalo, New York)に参加するも、その後、解散する。解散の時期については、明確に宣言されたわけではないため、同展の直後(1910年)とする説がある一方で、カメラワークが終刊し291ギャラリーが閉廊した1917年とする説もある。いずれにしろ、1910年から1917年の間に解散していることは間違いない。
スティーグリッツは、このグループを通じた極めて積極的な活動により、ピクトリアリスムをアメリカに普及させることに成功したが、このグループの活動の頂点とも言える「絵画主義写真国際展」の開催された1910年頃には、本人は、すでに、ピクトリアリスムからストレートフォトグラフィに向っており、結局は、ピクトリアリスムを否定することとなった。
==関連項目==

*写真
*アーモリー・ショー1913年
*ニューヨーク・ダダ



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フォト・セセッション」の詳細全文を読む




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