|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field
冨田 康祐(とみた こうすけ、1988年4月24日 - )は、愛知県西春日井郡西春町(現在の北名古屋市)出身のプロ野球選手(投手)。現在はフリーエージェント。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 野球に興味を持つきっかけとなったのは、父親が「男の子だから」と買い与えたおもちゃのバットとグローブだったという〔輝人(キラッと)・輝くあなたを応援します 「広報北名古屋」2007年7月号13ページ〕。小学生時代は、地元のスポーツ少年団(白木ウイングス)に所属するとともに、投手兼捕手で4番打者を任されていた。小学校の卒業文集には、「智辯和歌山に進学し、2年でサードのレギュラーを獲得し甲子園に出場する」と書いていた〔。 中学生時代は、ボーイズリーグの稲沢中央ボーイズ(愛知県稲沢市)に所属〔「中日スポーツ」2011年10月28日号7面〕すると同時に、学校の野球部にも所属。毎日のランニングと素振りを欠かさず「体力づくり」に専念した〔。稲沢中央ボーイズでもエースとして活躍した。 中学卒業後、PL学園高へ進学。地元を離れて名門校へ「野球留学」することについて、周囲からは猛反対されて本人もかなり悩んだ。しかし中学校の恩師の後押しもあり進学を決めた〔。 PL学園高時代は、1年時の秋からベンチ入り。3年時は、前田健太の控え投手兼外野手として第78回選抜高等学校野球大会に出場。8番・中堅手として全試合にスタメン出場。準決勝の清峰高戦では、3番手として登板し1回を無失点に抑えたが、チームは敗退しベスト4に終わる。夏は、大阪府予選準々決勝で東大阪大柏原高に敗れ、選手権大会出場は3年間で果たせなかった。 高校卒業後は、MLB挑戦を検討していたが、最終的に東都大学野球連盟に加盟する青山学院大学に進学した。1年時の春からリーグ戦に出場を果たすも、以後は右肘の故障もあり、通算7試合の登板で1勝1敗に終わった。4年時の秋にプロ志望届を提出したが、同年のNPBドラフト会議では、どの球団からも指名されなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「冨田康祐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|