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富田 愛次郎(とみた あいじろう、1885年(明治18年)12月 - 1954年(昭和29年)11月3日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、衆議院議員。 ==経歴== 愛知県出身。富田治郎右衛門の三男として生まれる。第四高等学校を経て、1913年、京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。大学卒業後、内務省に入り京都府属となる。 以後、京都府警視、埼玉県理事官、同視学官〔『官報』第1375号、大正6年3月5日。〕、内務省警保局事務官兼内務書記官、社会局第一課長、同書記官、同労働部長、同社会部長、中央職業紹介事務局長などを歴任。 1935年1月、三重県知事に就任。1937年1月、広島県知事に転じた。1938年11月、同県知事を辞し退官。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で愛知県第三区に翼賛政治体制協議会推薦(中立) で出馬し当選。のち、日本進歩党に所属し、衆議院議員を一期務めた。 その他、恩賜財団軍人援護会理事長、厚生省委員、中国合同電気・山陽配電・広沢製作所・鐵興社の各取締役などを歴任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富田愛次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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