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冨田 洋之(とみた ひろゆき、1980年11月21日 - )は元体操選手。順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科助教。日本オリンピック委員会専任コーチ。 == 略歴 == 1980年11月21日、大阪府に生まれる。マック体操クラブにて、8歳から体操を始める。なお同い年の鹿島丈博も同クラブに所属しており、高校時代を除き引退までの長い間、冨田とチームを共にすることとなる。12歳頃から、オリンピックを意識するようになった〔2006年9月25日 朝日新聞「(舞の海の 戦士のほっとタイム)冨田洋之 体操 美しく見せてV2挑む」〕。 2004年8月、アテネオリンピックでは日本チームのエースとして出場。金メダルのかかった最終種目鉄棒の最終試技者として、スーパーE難度のコールマンを成功。フィニッシュの伸身の新月面宙返りでは完璧な着地を決め団体総合で日本の28年ぶり〔メダル獲得は1992年バルセロナ五輪以来12年ぶり、金メダル獲得は1984年ロサンゼルス五輪以来24年ぶりだった。〕 の金メダル獲得に貢献。NHKアナウンサーの刈屋富士雄の実況も話題になった。種目別の平行棒でも銀メダルを獲得。 2005年世界体操競技選手権個人総合では、ついに日本選手として笠松茂以来31年ぶりの優勝。2006年世界体操競技選手権個人総合で2位となり、世界選手権3大会連続で個人総合のメダルを獲得。2007年世界体操競技選手権では低迷し、個人メダル獲得はならなかったが、ロンジン・エレガンス賞を日本人として初めて受賞している。 2008年8月、北京オリンピックでは団体総合の銀メダル獲得に貢献。予選では大きなミスもあり、内村航平・坂本功貴に次ぐチーム内3位であったが、事前の取り決め通り個人総合決勝に出場した。メダルも期待されたが、得意のつり輪で落下し、4位に終わった。 同年11月、「理想としてきた美しい体操を自分の中で演技することが難しくなってきた」として、現役引退を表明。同年12月、ワールドカップ大会を最後に28歳で現役を引退した。 2009年1月、国際審判員の資格を取得。同年3月、セントラルスポーツを退社。同年4月、順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科助教、日本オリンピック委員会専任コーチに就任。 2010年2月に3歳年下の女性と結婚した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「冨田洋之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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