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冬戦争(ふゆせんそう、芬:talvisota)は、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵入した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守った。 両国間の戦争が1941年6月に再開されたため、第1次ソ・芬(ソ連・フィンランド)戦争とも言う。なお、後続の戦争は第2次ソ・芬戦争、あるいは継続戦争と称される。 == 概要 == 1939年8月23日の独ソ不可侵条約によって勢力圏の再配置が約束された後、ソ連はドイツのように自らの勢力圏を確保するためにバルト三国とフィンランドへの圧力を強め、軍事的な行動を行っていく。バルト三国に対して軍事的圧力を見せつけつつ、最後通牒を送り、赤軍の軍事基地を置かせると、フィンランドにも同様に圧力をかけつつ軍事基地の提供を求めた。また、レニングラードにほど近いフィンランドの国境線を30km後退させることも要求した。フィンランド側はこれを拒否し、ソ芬間の交渉は決裂する。 ソ連はフィンランド軍から砲撃を受けたとして、1939年11月30日にフィンランドに宣戦布告し、侵攻を開始した。明らかな侵略行為に対して国際社会から非難を浴びたソ連は、1939年12月14日に国際連盟から追放されるが、戦争を終結させる上では何らの実効性も持たなかった。ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、年末までにはフィンランド全土を制圧できると考え、フィンランド軍のおよそ3倍の兵力を投入したが、結局マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。 スペインやイギリス、フランス等は、北欧の鉄鉱石を抑えるための名目として、フィンランドに対する支援をノルウェーなどスカンジナヴィア半島北部を経由して行おうとしたが、この計画に対しノルウェーは中立の立場を取り、通行を拒否したために計画は難航し、結局これらの支援が本格的にフィンランドに到達することはなかった。フィンランドは1940年3月まで戦い抜くが、最終的に国土の10%、工業生産の20%が集中する地域をソ連に譲り渡すという屈辱的な条件の下に講和条約を結び、戦争を終結させた。 ナチス・ドイツは終戦から1ヶ月に満たない内にデンマークやノルウェーに侵攻しその占領に成功した。そのため、冬戦争の後に連合国がフィンランドを支援することはできず、スウェーデンを頼ることもできず、フィンランドはドイツと接近することになった。またこの戦争でのソ連軍の弱体ぶりが諸外国に知れ渡ることになり、特にアドルフ・ヒトラーのソ連侵攻の決断に影響を与えたと言われている〔梅本弘『雪中の奇跡』エピローグ 268頁〕。 この戦争でのソ連の立場に関しては様々な論がある。ソ連はレニングラードの安全のためフィンランドのロシア帝国への編入の際にフィンランド自治政府へ委譲された南部の地域を取り戻そうとしたというものと、ソ連はフィンランドに傀儡政権の共産政府を立てて社会主義化しようとしていたものの二つに分かれる。ソ連は開戦直後にフィンランド民主共和国という傀儡国家を建国し、フィンランド民主共和国を唯一のフィンランド政府として、損害が大きくなるまでフィンランド本国の政府と交渉しないでいることから、後者の意見が主流である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「冬戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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