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凱皇仁(かいおう ひとし、1957年4月14日- )は、時津風部屋に所属した元力士。新潟県十日町市出身。身長186cm、体重156kg。最高位は東十両7枚目。 == 来歴 == 1973年3月初土俵、順調に出世して20歳で幕下中堅まで番付を上げた1977年、7月場所中に風呂場で倒れ、はずみでガラス戸を突き破った左腕に大怪我を負い、半年近いブランクを強いられた。復帰後は右腕一本で相撲を取るような形になりながら、約4年後の1982年3月十両昇進。当時の十日町市の広報紙によると十両昇進を祝う激励会には500人が集まるなどかなりの期待があった様子であり、後援会長が紙上で「もし52年(1977年)7月の、左腕動脈切断という大怪我がなかったなら、この激励会は大関昇進祝いであったかも知れない」と語っていた。その後も左腕の致命傷を克服できず、以後十両と幕下を往復する。1985年7月自己最高位の東十両7枚目の地位に躍進するも4勝11敗と大敗し、翌場所から幕下に陥落。その後十両復帰は叶わず、1986年7月限りで廃業。その後の様子が2009年にテレビ番組で紹介され、相撲をやめた直後の1986年9月から郷里の新潟県が生んだ英雄・田中角栄元首相の介護をしていたという。その後は実家の旅館の支配人を経て札幌市の福祉施設に勤務した。 同じ読みの魁皇博之は師匠である10代友綱の四股名(魁輝)から一字を取っており、出身地も一門も異なり直接の関係はない。 また魁皇博之が相撲界に入ったのも、凱皇仁が廃業した後である(1988年3月場所)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「凱皇仁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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