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出山横穴墓群(でやまおうけつぼぐん)とは、東京都三鷹市にある横穴墓群である。出山横穴墓群8号墓は1994年(平成6年)3月、東京都の史跡に指定されている。 ==横穴墓発見と発掘の経緯== 東京都三鷹市から調布市にかけての野川北岸沿いにある河岸段丘の国分寺崖線には、7世紀半ば~8世紀初めにかけて造営された多くの横穴墓がある。これら横穴墓は全部で7つの横穴墓群に分けられており、出山横穴墓群は7つの横穴墓群のうちのひとつである。なお7つある横穴墓群の中間部付近の台地上に天文台構内古墳があり、築造時期もほぼ同時期と見られることから、天文台構内古墳は7つの横穴墓群の頂点に立つ首長を葬ったものと考えられている。 出山横穴墓群は1884年(明治17年)、『武蔵野叢誌』という当時発行されていた雑誌に、出山横穴墓と思われる横穴墓が発見されたとの記事が掲載されている。その際に出土した人骨は近所にある龍源寺で埋葬され、「穴仏」「横穴古墳供養碑」という二基の石碑が建てられた。また出山横穴墓群6号墓は大正時代から開口していたとみられ、横穴墓であることがよくわからなかった当時、出山古墳と呼ばれていた。出山横穴墓群6号墓は1948年(昭和23年)頃発掘調査が行われ、土器が出土したとされるが詳細は不明である。 出山横穴墓群が三鷹市内で最初に確認された横穴墓群として、正式に記録上に現れるのは1963年(昭和38年)のことである。発掘調査は1978年(昭和53年)から開始され、まず玄室の一部のみが残存する出山横穴墓群1号墓の発掘が行われた。1984年(昭和59年)には近隣の学校建設に伴う道路整備中に5基の横穴墓が発見され、うち2号墓、3号墓、4号墓の一部が調査され、5号墓、6号墓については位置の測量が行われた。 同じく1984年には地元住民からの情報によって7号墳が確認された。また同じ住民が1979年(昭和54年)4月、筍の採集中に偶然出山横穴墓群8号墓を発見していた。1993年(平成5年)2月、三鷹市教育委員会は横穴墓を題材とした文化財展示会を計画し、その一環として横穴墓の発掘と発掘した横穴墓の見学会を計画した。三鷹市内の横穴墓の中から見学のしやすさ等の問題を考慮した結果、出山横穴墓群8号墓を発掘することとして、1993年2月から5月にかけて発掘調査が行われた。 発掘調査の成果により、1994年3月には出山横穴墓群8号墓は東京都の史跡となり、1994年10月から翌1995年(平氏8年)1月にかけて保存整備に向けて地中レーダー調査、ならびに出山横穴墓群8号墓の墓前域の発掘が行われた。この時のレーダー調査によって、第9号墓と第10号墓が発見された。続いて1995年9月から10月にかけて、未発掘の墓前域の調査を目的とした出山横穴墓群8号墓の第三次発掘調査が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「出山横穴墓群」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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