翻訳と辞書
Words near each other
・ 出羽海一門
・ 出羽海昭和
・ 出羽海義和
・ 出羽海親方
・ 出羽海運右エ門
・ 出羽海部屋
・ 出羽清原氏
・ 出羽港秀一
・ 出羽湊
・ 出羽湊利吉
出羽湊秀一
・ 出羽疾風龍二
・ 出羽百観音
・ 出羽神社
・ 出羽良彰
・ 出羽薬品
・ 出羽遊心館
・ 出羽郡
・ 出羽重遠
・ 出羽錦


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

出羽湊秀一 : ミニ英和和英辞書
出羽湊秀一[でわみなと しゅういち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [で]
  1. (n,n-suf) outflow 2. coming (going) out 3. graduate (of) 4. rising (of the sun or moon) 5. one's turn to appear on stage 
: [わ, はね]
  1. (n-suf) counter for birds 2. counter for rabbits 
: [いち]
  1. (num) one 

出羽湊秀一 : ウィキペディア日本語版
出羽湊秀一[でわみなと しゅういち]
出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日-1979年9月16日)は、青森県中津軽郡岩木町(現・同県弘前市)出身で、1950年代に活躍した大相撲力士である。現役時代は、出羽海部屋に所属した。本名は川田 秀一(かわだ しゅういち)。最高位は東前頭筆頭(1956年5月場所)。現役当時の体格は177cm、98kg。得意手は右四つ、寄り、突っ張りなど。
引退後は年寄藤島として後進の指導と、相撲協会の発展に尽くした。
== 来歴・人物 ==
1940年5月場所にて、17歳で初土俵を踏んだが、幕下に昇進したところで兵役のために長く土俵を離れた。そのため、新十両昇進は1949年5月場所と、時間がかかった。
十両にいた時期も長く、新入幕を果たした1953年5月場所では、すでに30歳に達していた。それでもその後、蹴手繰りなどの技を武器にして、幕内を連続20場所保った。その間、1955年9月場所では大関大内山を、1956年3月場所では大関・松登を破る殊勲の星を挙げている。
幕下から十両にかけて、本名でもある「川田」から、4場所連続で四股名を改めた(「四股名の変遷」の項を参照)。
1958年9月場所限りで引退し、以降は年寄・藤島を襲名して出羽海部屋付きの親方となり、長く勝負審判などを務めた。
1979年9月16日、膀胱腫瘍のため東京都内の病院で逝去。56歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「出羽湊秀一」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.