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出雲 八重子(いずも やえこ、1909年9月8日 - 没年不詳)は、日本の女優である。本名は泉 ヤエ。別名に出雲 八枝子、出雲 八恵子がある。 ==来歴・人物== 1909年(明治42年)9月8日、青森県八戸町(現八戸市)に生まれる(原籍地は鹿児島県鹿児島市新照院町九八〔)。実科高等女学校卒業後、エリアナ・パヴロワのもとでダンスを習う〔『日本映画俳優全集・女優篇』p.76-77〕。 1930年(昭和5年)5月、松竹蒲田撮影所に入社、五所平之助監督の『微笑む人生』で映画デビューする。1932年(昭和7年)に斎藤寅次郎監督の『女は寝て待て』で主演の小倉繁の相手役に抜擢され、以来、剽軽で愛敬のある顔が買われて、斎藤監督の短編喜劇映画に重用された〔。『腰の抜けた女』では主役を務め、キネマ旬報ベストテンに第7位でランキングされた『この子捨てざれば』では女房役を好演、短編喜劇の三枚目女優として活躍した。喜劇作品以外では、小津安二郎監督の『大学よいとこ』などに助演したが、シリアスな作品では女給役や女中役を多く演じた。『愛染かつら』では岡村文子演じる婦長の配下の看護婦の一人を演じ、戦時中に製作された『湖畔の別れ』では炊事婦を巧演している〔。 1934年(昭和9年)1月に井上雪子、三井秀男、阿部正三郎、徳大寺伸らとともに準幹部待遇に昇進〔『松竹九十年史』p.246〕。1937年(昭和12年)には佐野周二らとともに準幹部に〔『松竹七十年史』p.284〕、1942年(昭和17年)には三井と幹部待遇に昇格した〔『松竹九十年史』p.254〕。 戦後は一時舞台に出演していたが、1947年(昭和22年)に東宝に入社〔し、成瀬巳喜男監督作品に多数出演したほか、豊田四郎監督の『夫婦善哉』、黒澤明監督の『赤ひげ』などに脇役で出演した。1967年(昭和42年)公開の岡本喜八監督『殺人狂時代』での法華に凝った狂女役が最後の映画出演作で、以降の消息は不明である。 出雲が出演した斎藤の喜劇映画『新婚三塁打』の一場面である、主人公(小倉)がバットを振り回すと妻(出雲)の髷に当たって髷がすっ飛ぶというシーンのテスト撮影で、小倉の振ったバットが出雲の髷でなく後頭部に直撃するというアクシデントが起きた。出雲は意識を失い付近の病院に入院したが、打撃に力がこもってなかったため、大事には至らなかったという〔『日本の喜劇王 斎藤寅次郎自伝』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「出雲八重子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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