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トラピスチヌ修道院(トラピスチヌしゅうどういん)は、北海道函館市郊外にあるトラピスト会(厳律シトー会)系の女子修道院「天使の聖母トラピスチヌ修道院」の通称であり、通称天使園とも呼ばれる。日本最初の観想女子修道院である。また男子禁制である。お土産物として売られている、マダレナ(ケーキ)やクッキーが有名。 修道規律の改革が起きたとき、フランスのノルマンディー地方にある「トラップ修道院」の厳しい規律に従うシトー修道会のグループを厳律シトー修道会、修道院の場所の名を取ってトラピスト(女子はトラピスチヌ)と呼ばれるようになった。 トラピスチヌ修道院は1898年(明治31年)にフランスから派遣された8名の修道女によって創立された。その後1925年(大正14年)と1941年(昭和16年)の2回、火災に遭い再建をしている。 三木露風がここを訪ねて「野薔薇」を書き、山田耕筰作曲の日本歌曲として親しまれている〔実際にはハマナスである(『山田耕筰作品全集第5巻~独唱曲1 三木露風の詩による作品』春秋社)。〕。 == 沿革 == 〔天使の聖母トラピスチヌ修道院 青菁社〕 * 1905年 - (明治38年)、本館正面側の一部となるレンガ2階建ての建物を完成させた。 * 1907年 - (明治40年)函館大火。このときに、いくつかの部屋をシャルトル聖パウロ会に提供し、その修道女たちが世話していた孤児たちの避難所となった。 * 1912年 - (大正元年)、オランダ種クリーム・チーズの製造が始まる。後年、バターも製造されるようになる。 * 1925年 - (大正14年)、火災が発生。その後、2年足らずで再建。 * 1941年 - (昭和16年)、火災が発生。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トラピスチヌ修道院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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