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(n) molecular theory =========================== ・ 分 : [ぶん, ふん] 1. (n,n-suf,pref) (1) part 2. segment 3. share 4. ration 5. (2) rate 6. (3) degree 7. one's lot 8. one's status 9. relation 10. duty 1 1. kind 12. lot 13. (4) in proportion to 14. just as much as 1 ・ 分子 : [ぶんし] 【名詞】 1. numerator 2. molecule ・ 分子説 : [ぶんしせつ] (n) molecular theory ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November) ・ 説 : [せつ] 1. (n,n-suf) theory
アボガドロの法則(アボガドロのほうそく、英語:Avogadro's law)とは、同一圧力、同一温度、同一体積のすべての種類の気体には同じ数の分子が含まれるという法則である。 1811年にアメデオ・アボガドロがゲイ=リュサックの気体反応の法則とジョン・ドルトンの原子説の矛盾を説明するために仮説として提案した〔(英語訳 )〕。 少し遅れて1813年にアンドレ=マリ・アンペールも独立に同様の仮説を提案したことから、アボガドロ-アンペールの法則ともいう。 また特に分子という概念を提案した点に着目して分子説(ぶんしせつ)とも呼ぶ。 元素、原子、分子の3つの概念を区別し、またそれらに対応する化学当量、原子量、分子量の違いを区別する上で鍵となる仮説である。 アボガドロの仮説は提案後半世紀近くの間、一部の化学者以外にはほとんど忘れ去られていた。 そのため、化学当量と原子量、分子量の区別があいまいになり、化学者によって用いる原子量の値が異なるという事態に陥っていた。 1860年のにおいてスタニズラオ・カニッツァーロによりアボガドロの仮説についての解説が行なわれ、これを聞いた多くの化学者が仮説を受け入れ原子量についての混乱は徐々に解消されていった。 その後、問題になったのはアボガドロの提案した分子という存在が実在するかどうかであった。 分子の実在を主張する側からは気体分子運動論が提案され、気体の状態方程式などが説明されるに至った。 しかし一方で実証主義の立場から未だ観測できていない分子はあくまで理論の説明に都合の良い仮説と主張する物理学者、化学者も多かった。 この問題は最終的には1905年のアルバート・アインシュタインによるブラウン運動の理論の提案とジャン・ペランによるその理論の実証により間接的に分子の実在が証明されることによって解決した。 現在では分子の実在が確認されたことから、アボガドロの仮説はアボガドロの法則と呼ばれており、分子量と同じグラム数の気体が含む分子の数を表す物理定数を彼の名を冠してアボガドロ定数と呼んでいる。 == アボガドロの仮説 == アボガドロの仮説が提案される原因となったのはゲイ・リュサックの気体反応の法則であった。 気体反応の法則があらゆる気体に成立するとすれば、同一圧力、同一温度、同一体積中の気体にはある定数の整数倍の粒子が含まれていることになる。 例えば水素2リットルと酸素1リットルから水蒸気2リットルが生成し、炭素を酸素1リットルと燃焼させたときには一酸化炭素2リットルが生じる。 ジョン・ドルトンはこの実験事実自体を否定したが、アボガドロやイェンス・ベルセリウスはこの法則を認めた。 アボガドロはこの実験事実を説明するために、同一圧力、同一温度、同一体積の『すべての』気体にはある定数の粒子が含まれているとし、この粒子をmolecule(分子)と呼んだ。 アボガドロは化合により水ができるときには水素分子と酸素分子が2つに分割でき「半分子」になるとした。 アボガドロはこの半分子が2個より多くの原子からなることも考慮していたが、それまでに知られている気体反応の法則の例からは2個の原子からなると考えれば充分であるとした。 1814年にアンペールも同様の仮説を提唱した。 しかしその当時は、単一種の原子のみが結合して多原子分子を形成するという考えは受け入れがたかった(ギルバート・ルイスが共有結合の概念を提唱したのが1916年、その正体が量子化学に基づきヴァルター・ハイトラーとフリッツ・ロンドンにより初めて解明されたのは1927年である)。 ドルトンは重い気体と軽い気体が完全に混合して分離しないのは、同じ種類の原子同士に熱素による斥力が働いているのが原因であると考えており、同種原子の結合を認めなかった。 またベルセリウスは電気化学的二元論の考え方から同じ種類の原子には静電的な斥力が働くと考えていた。 電気化学的二元論は1840年ごろまで、化学の支柱的な理論として信奉された。 そのため、同種原子からなる分子の考え方が受け入れられるようになるのは、電気化学的二元論にほころびが生じてからのことであった。 一方で、ベルセリウスは気体反応の法則のつじつまを合わせるために、同一圧力、同一温度、同一体積のすべての『単体の』気体にはある定数の粒子が含まれていると限定して考えた。 すなわち水蒸気や一酸化炭素は単体の気体の半分の粒子しか含んでいないと考えたのである。 ベルセリウスはこの考え方を元に多くの原子量を決定していった。 しかしベルセリウスの考えもそれほど多くの化学者に広まらなかった。 そのため、それぞれの化学者が自分の考えに基づいて原子量を決定し、それに基づいて分子式を決める状態が長く続くことになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アボガドロの法則」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Avogadro's law 」があります。 スポンサード リンク
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