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切支丹屋敷(きりしたんやしき)は、江戸時代に江戸小石川小日向(現在の東京都文京区小日向1-24-8)にあったキリシタンを収容する屋敷である。キリシタン屋敷とも表記され、山屋敷とも呼ばれる〔切支丹屋敷跡(きりしたんやしきあと) 文京区〕。 == 沿革 == 正保3年(1646年)に、大目付兼宗門改役であった井上政重の下屋敷内に牢や番所を建てて設けられた。この屋敷には、寛永20年(1643年)に筑前国に漂着し、江戸に送られて伝馬町の牢に入れられたイタリアの宣教師ジュゼッペ・キアラ、ペトロ・マルクエズら10人が収容された〔。 また、宝永5年(1708年)にイタリアの宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが屋久島に上陸し、長崎を経て江戸に送られた際にもこの屋敷に収容され、新井白石の尋問を受けた〔。 シドッティが正徳4年(1714年)に没した後は収容される者もいなくなり、切支丹屋敷は享保9年(1724年)に火災で焼失。その後は再建されることもなく、寛政4年(1792年)に宗門改役の廃止と同時に正式に廃された〔〔宮永孝 「東京 キリシタン屋敷の遺跡 」 法政大学学術機関リポジトリ〕。 2014年7〜8月、切支丹屋敷跡へのマンション建設に伴い調査が行われ、3体の遺骨が発掘された。DNA解析の結果、うち1体はイタリア人のグループに属する男性であり、シドッティの遺骨であるとみられている〔遺骨:白石の「西洋の窓」宣教師か 獄死した屋敷跡から - 毎日新聞 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「切支丹屋敷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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