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切目王子(きりめおうじ)は和歌山県日高郡印南町にある神社。九十九王子の一つで、五体王子の一社(『紀伊続風土記』〔西134 〕)。ナギを神木とし、本地仏は十一面観音(『熊野縁起』仁和寺蔵、正中元年〈1326年〉〔平凡社228 〕)。県指定史跡(1959年〈昭和34年〉1月8日指定)。 == 歴史 == 創建年代は社伝によれば崇神天皇の代にさかのぼるとされ〔、熊野権現が一時鎮座した地であったとも言う(『長寛勘文』〔五来 重、1992、『山の宗教 - 修験道講義』、角川書店 ISBN 4047032239〕)。 『中右記』天仁2年(1109年)10月20日条に「切部水辺」で祓いを行った後、王子社に奉幣したとあり、他にも『吉記』承安4年(1174年)9月27日条や「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月13日条には参詣後に宿所で歌会を催したとあるなど、多くの中世熊野参詣記に記録が見られる〔〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会367 〕。また、熊野詣の途上にあった平清盛が、源義朝挙兵の報を受けて京に引き返したのもこの王子であった〔。中世以降も『平治物語』や『太平記』(巻5「大塔宮熊野落事」)等に熊野詣の途上に切目王子に参詣したとの記述が見受けられ〔平凡社229 〕、『紀伊続風土記』は境内摂社として大塔宮社があったと記している〔。 中世熊野詣では参詣の途上で歌会が催された例が参詣記に登場する。そうした歌会の折に参会した人々が歌を書き付けた紙を熊野懐紙といい、約30通が現存する〔熊野路編さん委員会、1973、『古道と王子社 - 熊野中辺路』、熊野中辺路刊行会(くまの文庫4)p.81〕。それらのうち、11通は正治2年(1200年)12月3日、後鳥羽院が切目王子で開いた歌会でのもので〔〔平凡社228-229 〕、今日では西本願寺に所蔵されており〔、当地には写本が残されている。 天正13年(1585年)に兵火によって社伝が焼失したが、ある比丘尼が7ヶ月で再興したと伝え、熊野参詣道をはさんで向かい側にある妙法山尼屋敷という地が比丘尼の房であったという(『紀伊続風土記』〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会368 〕)。寛文2年(1663年)、紀州藩主徳川頼宣から御戸帳・絵馬などが寄進され、貞享3年(1686年)には社殿が再建され〔、今日まで現存する〔。近世の社地は境内方一町、拝殿は奥行き5間半・幅2間と伝えられる(『紀伊続風土記』〔)。現社殿は、拝殿は1908年(明治41年)の再建〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「切目王子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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