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奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)は、戊辰戦争中に陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮・北白川宮能久親王を盟主とし、新政府の圧力に対抗するために結成された同盟である。 元々は奥羽諸藩が会津藩、庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を目的として結んだ同盟(奥羽列藩同盟)であったため、両藩は盟約書には署名していない(ただし両藩は会庄同盟を結成)。赦免嘆願が拒絶された後は、新たな政権(北部政権)の確立を目的とした軍事同盟に変化した。同盟のイデオローグ・論理的指導者として、仙台藩の大槻磐渓の存在が挙げられる。 なお、加盟各藩はいずれも当初新政府の奥羽鎮撫総督に従っていた。 == 救会・救庄のための同盟 == === 会津、庄内藩の立場 === 会津藩は京都守護職、庄内藩は江戸市中取締を命ぜられ旧幕府の要職にあり、薩長と対立したために「朝敵」として新政府からの攻撃対象とされ、特に会津藩は幕府派の首魁と目されていた。会庄両藩の外交の動きは、2011年2月、東京大学史料編纂所箱石大准教授らにより、両藩が当時のプロイセン代理公使マックス・フォン・ブラントを通じて、領有する北海道の根室や留萌の譲渡と引き換えにプロイセンとの提携を模索していたことを示す、ブラントから本国への書簡がドイツ国立軍事文書館で発見された〔 〕ことにより、明らかになってきた。この文書において、プロイセン宰相オットー・フォン・ビスマルクは中立の立場から会庄両藩の申し出を断っている。しかしプロイセン海軍大臣は、日本が混迷している隙をつき、他国同様、領土確保に向かうべきであると進言している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥羽越列藩同盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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