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初風 諄(はつかぜ じゅん、本名松野誠子(旧姓菅野)1941年9月11日 - )は、女優で宝塚歌劇団卒業生(元星組・月組主演娘役)。 東京都出身。出身校山脇学園、公称身長160センチ、血液型O型、宝塚歌劇団時代の愛称カンちゃん。(旧姓に由来) == 来歴 == 寿美花代に憧憬し1961年、宝塚歌劇団に入団。月組公演『春の踊り/サルタンバンク』〔で初舞台を踏む。47期生。同期生に若みゆき(現・鳩山幸)、振付家の羽山紀代美がいる。宝塚入団時の成績は66人中2位〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、62-63頁。ISBN 9784484146010〕。 長身であったことから当初は男役であったが入団まもなく娘役に転向。 1962年1月。入団1年目でまだ組配属が決まる前に、雪組公演『絢爛たる休日』で明石照子の相手役に抜擢される。同年〔、月組に配属。 1967年より星組主演娘役を務める。 その後、1970年、八汐路まり退団を受け月組主演娘役を務める。 月組では古城都(1970年~1973年)、大滝子・榛名由梨(※二人トップ体制、ともに1974年~1975年)の相手役を務めた。 1974年『ベルサイユのばら』初演でマリー・アントワネット役を務め、第一期ベルばらブームの礎を築いた。 1975年9月より1976年1月15日までの長期間歌劇団のヨーロッパ公演に参加。(この欧州公演と、1976年3~5月の星組公演への特別出演が決定したため月組公演『恋こそわがいのち』は大劇場・東京公演とも全日程休演、レナール夫人役は舞小雪が代演。) 1976年、星組公演『ベルサイユのばらⅢ』に再度マリー・アントワネット役として特別出演。7月の同作品東京公演で退団予定だったが、8月月組東京公演『ベルサイユのばらⅢ』への出演が決定のため退団を延期、8月31日付〔にて退団。これは、長年初風が在籍していた月組生徒たちから「初風さんを最後は古巣である月組から送り出してあげられないか」との声があがり、歌劇団も異例の退団延期・月組公演出演を認めたため実現したものだった。 また娘役トップの退団に際しては歌劇団史上初となる、特別公演「サヨナラリサイタル」もおこなった。 退団後結婚、家庭に専念。ただし歌劇団卒業生が集まるイベントにはごくたまにだが出席したりしていた。 2000年ミュージカル『エリザベート』のゾフィー皇太后役で24年ぶりに舞台復帰という形で本格的な芸能活動を開始。その美声を披露した。宝塚時代をしる舞台関係者のオファーあっての芸能界進出だったが「若い頃にやっていた事が今もきちんとできるのがうれしい」と舞台に立ち続ける。 復帰後の出演作には、『ミー&マイガール』『チャーリー・ガール』『シンデレラ』『桜祭り狸御殿』『サタデー ナイト フィーバー:ザ ミュージカル』などがある。 淀かおる・上月晃が相次ぎ逝去し空白となっていた"日本(とくに東宝)ミュージカルの「演れて、唄える」女性助演者"の層を寿ひずるらとともに埋めた功績はかなりのものである。 2005年、病を得て『エリザベート』を降板したが同年11月、歌劇団の先輩笹潤子とのジョイントコンサート『ラ・ルージュ』で復帰した。 2007年、『宝塚BOYS』『蜘蛛女のキス』に出演。 2008年、『ウェディングシンガー』『宝塚BOYS』『エリザベート』に出演。『エリザベート』は 寿ひずる とダブルキャスト。 2009年、『エリザベート』(大阪公演)、『ニュー・ブレイン』に出演。6月宝塚大劇場「百年への道」では司会を担当、現役最上級生の春日野八千代との対談は話題になった。 2010年、『蜘蛛女のキス』(再演)、『宝塚BOYS』(三演)、『ワンダフルタウン』に出演。 2011年、宝塚100周年へ向けてのOG公演『DREAM TRAIL』、『花柳寿輔傘寿記念公演』、『ウェディングシンガー』(再演)、小林公平1周忌チャリティなどに出演。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「初風諄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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