|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 別 : [べつ] 1. (adj-na,n,n-suf) distinction 2. difference 3. different 4. another 5. particular 6. separate 7. extra 8. exception ・ 鉄 : [てつ] 【名詞】 1. iron ・ 鉄道 : [てつどう] 【名詞】 1. railroad
別府鉄道株式会社(べふてつどう)は、かつて兵庫県西南部で鉄道事業を行っていた会社。1984年に鉄道事業から撤退した後は、タクシーならびに貸切バス事業者として営業を続けた。本社は兵庫県加古川市。 鉄道事業は貨物輸送が主体だったが、旅客営業も行っていた。輸送量の減少により、1984年2月1日国鉄ダイヤ改正(操車場の廃止と貨物列車大整理)を機会に、貨物輸送の維持ができなくなり、全線が廃止された。 2010年(平成22年)1月、同社から一部の部門が独立する形で、別府タクシーへタクシー事業・派遣事業・運行管理事業を譲渡した〔新着情報 / 別府鉄道株式会社よりタクシー部門が独立し、別府タクシー株式会社を設立しました。 - 別府タクシー 2010年1月〕〔会社沿革 - 別府タクシー〕〔【神戸】別府鉄道、別府タクに譲渡へ - 週刊交通界21 関西版 2009年10月31日号 【神戸】別府鉄道・譲渡譲受認可 - 週刊交通界21 関西版 2010年1月23日号〕。 以後、不動産管理会社として存続し、2012年11月30日より多木化学の完全子会社化を予定していたが、中止となった。 == 歴史 == 創業時の社名は別府軽便鉄道。別府港にある、創業者の多木久米次郎が経営する化学肥料製造会社の多木製肥所(現在の多木化学)の肥料製品を積み出すための鉄道として、1921年に野口線が開業、1923年に土山線が開業した。 戦時中は野口線が不要不急線として休止され、資材も供出させられたが、土山線は肥料輸送の重要性が認められ存続した(野口線は1947年運行再開)。なお、1946年に別府鉄道に社名変更している。また、1944年に別府港で操業を開始した製鉄化学工業(現・住友精化)の製品輸送を担うようになった。1966年には土山線沿線に川崎重工業の車両工場が新設され、そこで新製された貨車の搬出にも利用された。 1961年(昭和36年)にタクシー部門を設立〔。 両路線とも、地域の足として親しまれてきたが、地元還元が主目的でおまけ的存在であった旅客輸送は近代化がされず、クラシックな気動車や果ては混合列車がのんびりと運転されるだけであった(特に土山線は乗客が1日数名という日も珍しくなかった)。別府に乗り入れる山陽電気鉄道とは列車本数やスピードで勝負にならず、旅客輸送は低迷を続けていた。とはいえ、野口線は加古川市の行政施設が集中する野口へ乗り入れていたことや、沿線に各種工場があった(多木化学、住友精化、テイエルブイ、ニシカワ食品など)ことから、通勤客などが僅かに利用していたが、それも廃止直前にはほとんどいなくなっていた。 1980年代に入り国鉄貨物営業の縮小の影響を受け、土山線を経て土山駅で国鉄線へ受け渡す貨物輸送ができなくなり、これが直接的原因となり1984年2月1日に鉄道全線が廃止された。最終営業日となった1984年1月31日は当地としては珍しい大雪の日(五九豪雪の一つ。当日当地に程近い姫路で19㎝の積雪を観測)となり、沿線の道路が大混乱している中でお別れ列車などを含めスムーズに列車を運行し、最後の最後まで鉄道としての特性を全うした。 しかし廃止までの経緯から、鉄道代替バスを運転しても採算が取れないことからバス代替は行われなかった。現在廃線跡は主に遊歩道に転用されている。 2009年(平成21年)11月、木下運輸と多木化学の合資で別府タクシー株式会社を設立〔。2010年(平成22年)1月、一部の部門が独立する形で、別府鉄道のタクシー事業・派遣事業・運行管理事業を別府タクシーへ譲渡した〔〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「別府鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|