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別所 孝治(べっしょ たかはる、1935年8月30日〔大久保一光取材・構成「RESPECT 別所孝治」『電人ザボーガー大全』岩佐陽一編、双葉社、2002年、pp.14-17〕 - 2006年2月4日〔大ヒットから訃報まで総決算 2006年アニメニュース WEBアニメスタイル 2006年12月28日〕)は、日本のテレビプロデューサー。フジテレビジョンでテレビアニメの企画、特撮ヒーロー番組の編成、映画事業の企画・プロデューサーをつとめた。 == 来歴 == 1935年に東京都で5人兄弟の長男として出生。父は国鉄勤務。東京写真大学(現:東京工芸大学)在学中は映画館でフィルム運びのアルバイトをして、映写技師の免許も取得。1958年に大学を卒業し、第1期生としてフジテレビへカメラマンとして入社〔〔大橋義輝『「サザエさん」のないしょ話 国民的アニメ番組の制作現場と作った人たち』データハウス、2012年、p.78〕。共同テレビジョンにフジテレビのカメラマンが移籍する中でフジテレビに残って、プロデューサーとなる。1961年に外国アニメ『恐妻天国』を担当〔。次いで、1963年から日本初の本格的な30分のテレビアニメシリーズである虫プロダクションの『鉄腕アトム』を担当。同作では、アフレコに立ち会って音響監督職も務めた〔〔木村英俊『THEアニメ・ソング―ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、p.166〕〔霜月たかなか、司田武己編著、『鉄腕アトムコンプリートブック』メディアファクトリー、2003年、p.114〕。 これ以降、フジテレビ制作の数々のアニメ番組に企画として参加。アニメを担当していた流れで、1966年の『マグマ大使』から特撮番組も担当するようになる〔「フジテレビ・プロデューサー 別所孝治」『マグマ大使 パーフェクトブック』堤哲哉編著、白夜書房、1999年、pp.143-147〕。玩具メーカーのポピーのブレーンも務めた〔神永英司『マルサン物語 玩具黄金時代伝説』朝日新聞出版、2009年、p.180〕。 定年後はフジテレビ映画部で嘱託として映画やアニメの放送に従事していた。 2006年2月に肺癌により死去〔〔。 没後、2006年3月18日に早朝の『週刊フジテレビ批評』を1時間に分拡大して「アニメ番組を創った人を偲ぶ」と題した追悼番組が放送〔大橋、p.97〕。同年7月に公開されたフジテレビ製作のアニメ映画『ブレイブ・ストーリー』(監督千明孝一、配給ワーナー・ブラザース)のエンディングでは献辞が捧げられた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「別所孝治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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