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則定町(のりさだちょう)は、愛知県豊田市の地名。 == 概要 == 豊田市の中央部に位置し、足助地区(旧東加茂郡足助町の町域にほぼ相当する)に属する。 足助地区の中では最西部近くに位置し、東部に行くほど山林が深くなる同地区の中では、山稜が比較的なだらかで開けた印象を与える。 町域東部では北東から南に向かって矢作川の支流である巴川が流れ、町域中央部やや南よりでは霧山町より北進してきた則定川がこの巴川に合流する。合流地点近辺は土地が比較的平坦であり、往古より足助街道より滝坂道がここで分岐し、足助・岡崎・矢作川方面に通じる交通の要所ともなった。また、明治初期までは下佐切とを往来する巴川渡船の船着場もこの付近にあったという〔『日本歴史地名体系』23:913-914ページ〕。古来の遺跡、中世以降の史跡も多く、江戸時代初期の僧侶で仏教思想家鈴木正三のゆかりの地としても知られる。 現在では、巴川沿いを走る愛知県道39号(主要地方道岡崎足助線)と愛知県道343号(則定豊田線)がここで分岐し、往時の街道ルートの有りようをそのまま踏襲しているわけではないものの、足助・松平及び岡崎・高橋の三方面へのアクセスの要地となっている。 この河岸に接した県道沿い、及び山あいを走る旧街道沿いには、人家が広く点在している。 町域西部では人家もほとんど無いが、山中町の恩真寺へと通じる道が古来より通じており、かつての鈴木正三も布教と修行のために往来したと考えられている。山中町・矢並町との境界付近には採石場がある。また町域北部には東大島町とまたがる形で中部電力東部変電所が立地している。 産業は農林業が中心である〔『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:1053-1054ページ〕。また、兼業農家が多数を占める〔『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:2007ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「則定町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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