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前涼[ぜんりょう]
前涼(ぜんりょう、拼音:Qiánliáng、301年 - 376年)は、中国の五胡十六国時代に漢族の張軌によって建てられた国。 == 歴史 ==
=== 建国期 === 涼州は前漢時代に武威郡が設置され〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P78〕、後漢時代には馬騰・馬超父子が現れて中央政権から非常に自立性が強い地域であった。またこの州は交通・交易上の要衝で、さらに牧地・農耕地として肥沃な地域であった〔〔川本『中国の歴史、中華の崩壊と拡大、魏晋南北朝』、P76〕。 前涼の始祖の張軌は、前漢の高祖劉邦の縁戚である趙王張耳の末裔と伝わり(『晋書』張軌伝)、張一族は歴代にわたり高級官僚を輩出し、張軌自身も西晋に仕えて尚書郎・散騎常侍・太子舎人などを務めた〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P79〕。その西晋が八王の乱を起こし、特にその乱が激しさを増すと中央にいることの危険を悟り、301年1月に護羌校尉・涼州刺史となって涼州に赴任し、姑臧に駐屯した〔。当時の涼州は鮮卑の反乱や盗賊が横行し、さらに泰州(現在の甘粛省東部)などから八王の乱のために大量の流民が避難してくるなど、良好な条件を備えているとは言い難かったが、張軌はそれなりの兵力を率いて赴任しており、涼州の反乱を平定して社会の安定に努め、305年には鮮卑の若羅抜能を討伐した〔。こうして張軌は涼州支配を確立させた〔。ただし張軌は王を名乗らず、あくまで西晋の臣下としての立場を貫いた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前涼」の詳細全文を読む
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