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前田 利右衛門(まえだ りえもん、? - 1719年(享保4年)?)は、江戸時代中期(17世紀から18世紀にかけて)の薩摩国の人物で、1705年(宝永2年)に琉球からサツマイモを持ち込んだと言われている。〔47都道府県郷土をつくった偉人事典(監修:上田孝俊) 97頁上から1行目〕 == 生涯 == 利右衛門は揖宿郡山川郷岡児ヶ水(おかちょがみず)の出身であるとされ、農民であるとも漁民であるとも言われているがはっきりしない。水夫として琉球に渡った際にサツマイモの苗を薩摩に持ち帰ったと伝えられている。他にも、琉球出兵の際に将兵が持ち帰ったという説や、種子島の領主が先に栽培していたものが持ち込まれた説などもあるが、圧倒的に多数の説では利右衛門が持ち込んだとしている。しかしその経緯ははっきりとしておらず、利右衛門の死亡年も正確には分からず諸説があり、1683年(天和3年)生まれで1707年(宝永4年)に24歳で早世した説もある。〔47都道府県郷土をつくった偉人事典(監修:上田孝俊)97頁の鹿児島県の上段〕出生年についてはさらにはっきりとしておらず、1670年代ではないかと推定されている。利右衛門は、当時一般の住民で武士ではなかったため苗字はなく、その子孫が平民苗字必称義務令が制定された明治時代になってから名乗った前田という苗字が遡って「前田利右衛門」という名前が世間に定着している。 海運業の仕事で薩摩藩(現在の鹿児島県)と琉球の往来していた利右衛門は、〔47都道府県郷土をつくった偉人事典(監修:上田孝俊) 97頁上から2行目〕1705年(宝永2年)に琉球でサツマイモが栽培されて条件が悪い土地で成育しているのを見て、薩摩にサツマイモ芋を栽培させることをひらめき、鉢植えにして自宅に持ち帰った。〔47都道府県郷土をつくった偉人事典(監修:上田孝俊) 97頁上から3行目~4行目〕さつまいもの育て方を研究して様々な工夫を重ねた。さつまいもの栽培に成功した利右衛門が、種イモや苗を周囲の農民に配給したことから、〔47都道府県郷土をつくった偉人事典(監修:上田孝俊) 97頁上から5行目~7行目〕さつまいもは最新の食物として普及した。米の不作で苦しむ飢餓の人々を救った農業功労者である。〔47都道府県郷土をつくった偉人事典(監修:上田孝俊) 97頁上から8行目~10行目〕 利右衛門は琉球に渡るときに遭難して死亡した。前田利右衛門の供養のために揖宿郡山川郷岡児ヶ水の村人が持ち寄ったお金で供養堂を建てたのが徳光神社である。飢餓の時期にサツマイモが多くの住民を救ったことなどから、彼の業績が賞賛され、あちこちに業績を顕彰する碑が建てられている。墓碑には「唐薯殿」と刻まれていた。また甘藷翁の称号もある。また、指宿酒造が彼の名にちなんだ「利右衛門」という名の芋焼酎を発売している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前田利右衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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