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前田 利嗣(まえだ としつぐ、安政5年4月19日(1858年5月31日) - 1900年(明治33年)6月14日)は加賀前田家第15代当主。字は推永、号は育峰。 == 生涯 == 加賀藩世子だった前田慶寧の長男として生まれる。幼名は多慶丸。明治2年(1869年)に父慶寧に代わって上洛し、参内して従四位下左近衛権少将兼筑前守に叙せられた〔石川県史 第二編 第五章 加賀藩治終末期 第九節 版籍奉還 慶寧の入朝と利嗣の任官 〕。明治4年(1871年)、岩倉使節団の一員としてイギリスに留学した。1884年(明治17年)、授産のために石川県士族を札幌県岩内郡に入植させた(後の前田村)。1890年(明治23年)の貴族院設立に伴って同院の侯爵議員となり、主猟官、麝香間祗候を歴任した。1891年(明治24年)10月に尾山神社で行われた金沢城修築三百年祭の祭典に出席している。1895年(明治28年)、石狩平野の西部に農場を作り、これが前田 (札幌市)の起こりとなった。1900年(明治33年)に42歳で死去。家督は婿養子となる利為が嗣いだ。 明治12年(1879年)には、石川・富山両県の子弟の学費を援助する育英事業団体「加越能育英社」の設立にあたり、2000円(現在の3300万円余)を寄付した〔加越能育英社と石川富山明倫学館の功労者 石川富山明倫学館〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前田利嗣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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