翻訳と辞書
Words near each other
・ 前田利考
・ 前田利聲
・ 前田利與
・ 前田利興
・ 前田利英
・ 前田利行
・ 前田利行 (歯科医師)
・ 前田利見
・ 前田利謙
・ 前田利豁
前田利豊
・ 前田利貞
・ 前田利貴
・ 前田利道
・ 前田利長
・ 前田利長公墓所
・ 前田利長墓所
・ 前田利阜
・ 前田利隆
・ 前田利高


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

前田利豊 : ミニ英和和英辞書
前田利豊[ゆたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 

前田利豊 ( リダイレクト:前田利貞 ) : ウィキペディア日本語版
前田利貞[まえだ としさだ]
前田 利貞(まえだ としさだ、慶長3年3月16日1598年4月21日)- 元和6年8月2日1620年8月29日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将前田利家の六男、母は側室・逞正院(阿千代。越前葛野坊円福寺の五女)。幼名は乙松丸、後に七兵衛、備前、利豊。子女は前田貞里
利家の近習であった神谷守孝に養育され、神谷氏を称す。1611年(慶長16年)11月に衣服領500石を賜い前田氏に改める。大坂の陣に従軍し、特に大坂冬の陣では兄・前田知好の陣に属し、功により5000石を加増される。両陣とも直接戦闘には参加せず、後方支援だった。1618年(元和3年)には徳川秀忠に拝謁し、御服を賜う。しかし、大坂の陣で登用した家臣を養うのが困難なほど困窮し、1620年(元和6年)6月に食録返上を願い出、同年8月に死去した。墓は金沢の野田山墓地。法名は江月院照嶺永秋大居士。

----
前田 利貞(まえだ としさだ、宝暦5年12月21日1756年1月22日) - 宝暦9年12月25日1760年2月11日))は、江戸時代前期の人物。大聖寺藩第5代藩主・前田利道の長男。母は前田利隆の娘。幼名は亀丸。加賀大聖寺藩の嫡子として生まれたが、1759年(宝暦9年)に夭逝した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「前田利貞」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.