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前田 利鬯(まえだ としか)は、加賀大聖寺藩の第14代(最後)の藩主。 == 生涯 == 天保12年(1841年)6月12日、加賀藩主・前田斉泰の七男として生まれる。はじめ加賀藩士・前田貞事の養子となって安政元年(1854年)にその家督を継いでいたが、安政2年(1855年)に大聖寺藩で兄の利義、利行が相次いで死去したため、利行の末期養子となって跡を継いだ。 幕末期の動乱の中では、東方芝山を登用して、富国強兵を行なう。また、佐幕派として天狗党の乱、禁門の変、御所の警備、東叡山守備などで功績を挙げた。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では幕府軍に与しようとしたが、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れたことを知ると、やむなく新政府軍に与して北越戦争に出兵した。 明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官された。明治17年(1884年)に子爵となる。大正9年(1920年)7月27日、東京で死去した。享年80。 父、また宝生流家元・宝生友于に学んで能をよくした。素人ながら芝公園能楽堂の舞台にも立ち、また謡二百五十番を諳んじていて、どんな曲でも求められれば即座に歌うことが出来た。晩年は失明同然であったが、それでも舞・謡ともに変わらずに勤めたという〔野々村戒三『能の今昔』(木耳社、1967年)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前田利鬯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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