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前田 勝(まえた まさる、1982年6月24日 - )は、山形県東田川郡櫛引町(現・鶴岡市)出身で芝田山部屋(入門時は放駒部屋)所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長180cm、体重209kg、血液型はAB型。得意手は左四つ、寄り。最高位は西幕下3枚目(2010年7月場所)。好物はイカ。 〔前田 勝 芝田山部屋公式ホームページ : 地元の鶴岡市はイカの名産地でもある。〕 == 人物 == 実家は第47代横綱・柏戸の生家の近所で、鶴岡少年相撲教室に通い小学校、中学校時代はあらゆる大会を総ナメにして“山形の怪童”と呼ばれた。特に小学校時代には、わんぱく相撲全国大会で5年生、6年生と2年連続で優勝してわんぱく横綱に輝いた。高校は相撲の強豪・埼玉栄高へと進み、主将として団体戦全国5連覇に貢献するとともに、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級で優勝した。日本大学時代は体重200kgの巨漢をもてあまし全日本相撲選手権大会もベスト8止まりで、高校、大学と進むにつれて成績が落ちた。 日大卒業後は大相撲へと進み、2005年3月場所に前相撲で初土俵。この時点で在籍していた駿傑に憧れて入門を決めたといい、集団生活も苦にならなかったと話している。2006年3月場所は7戦全勝で三段目優勝を飾り、デビュー以来6場所連続の勝ち越しで翌5月場所に幕下入りを果たした。その場所後の2006年3月27日に帰郷。29日には富塚陽一鶴岡市長を表敬訪問し、三段目優勝を報告した。この活躍を激励しようと櫛引相撲連盟と丸岡地区の住民たちが祝賀会を主催し、各地区の相撲連盟関係者や地元住人、前田の小学生時代の恩師など約70人が祝賀会に出席するなど当時は期待が大きかった。〔目指せ関取― 期待の星 前田(櫛引出身放駒部屋)囲んで祝賀会激励会 荘内日報ニュース 2006年(平成18年) 4月1日(土)付け紙面より 〕その後も順調に出世し、2007年は十両昇進が期待されたが不振が続き、11月場所では蜂窩織炎のため5日目まで休場、2008年1月場所は三段目に番付を落とした。その後は三段目では勝てるものの幕下で勝ち切れずにいた。2010年5月場所では幕下優勝し、翌7月場所は自己最高位を更新したが、1勝6敗に終わった。幕下での通算成績は負け越しており、十両昇進のためにまずは幕下で安定的に勝つことが求められよう。 2013年1月場所後に、放駒部屋から芝田山部屋に移籍した。西幕下47枚目まで地位を落とした2014年3月場所は3番相撲を除いてすべて黒星と大乱調であり1勝6敗の不振に甘んじた。2014年5月場所は24場所連続で務めた幕下の地位から退く形で東三段目22枚目まで下降し、ここでも3勝4敗の負け越し。翌7月場所は西三段目37枚目まで地位を落とすも7番相撲まで2連勝で4勝3敗として5場所ぶりの勝ち越し。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前田勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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