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前田喜代士 : ミニ英和和英辞書
前田喜代士[まえだ きよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

前田喜代士 : ウィキペディア日本語版
前田喜代士[まえだ きよし]

前田 喜代士(まえだ きよし、1912年4月20日 - 1938年1月)は、福井県出身のプロ野球選手
== 来歴・人物 ==
武生中学では主将で4番中堅手だった。卒業後は慶大に進むも病気で中退。その後、ノンプロ呉羽紡績日本レイヨンでプレーした。
1936年名古屋軍の結成に参加し、そのまま入団。最初の公式リーグ戦である1936年春の第一回日本職業野球リーグ戦では左翼手として活躍し、5月17日東京セネタース鳴海球場)戦では、石原繁三からランニングホームランを打った。これは球団史上初めての本塁打である(日本プロ野球公式戦でも、同年5月4日に本塁打を打った藤井勇大阪)に次いで第二号本塁打である)。同年秋の第二回日本職業野球リーグ戦においても12月7日東京セネタース洲崎球場)戦で、同じ石原繁三から日本プロ野球公式戦史上初の代打本塁打を打つなど、長打力のある打者として、弱小・名古屋軍を支えた。反面、成績にムラがあり、1936年秋にマークした打率.123は、同シーズンに規定打席に達した打者の中ではワースト2位だった。〔同シーズンでの規定打席到達者の最低打率は、川村徳久阪急)の.120。〕
しかし、1937年春季終了後に応召され、翌1938年1月中国戦死。享年25。職業野球現役選手初の戦死者〔日本プロ野球界初の戦死者は、1928年5月20日に済南事件で戦死した、丸山守次郎(元宝塚運動協会所属の投手)である。また職業野球に在籍経験のある野球選手の中では1937年7月28日に平津作戦で戦死した、後藤正(1936年に名古屋軍に所属していた一塁手)がいる。〕でもある。
東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「前田喜代士」の詳細全文を読む




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