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前田 正実(まえだ まさみ、1892年11月10日 - 1953年7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 ==経歴== 前田正隆・陸軍大尉の長男として岐阜で生まれる。京都一中、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、工兵少尉に任官し工兵第15大隊付となる。1916年(大正5年)5月、陸軍砲工学校高等科(25期)を優等で卒業。陸地測量部員などを経て、1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業。 1922年12月、工兵第15大隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員などを歴任し、1925年(大正14年)5月から1928年(昭和3年)12月までフィリピンに潜入。1928年8月、工兵少佐に昇進し、同年12月、鉄道第1連隊付となる。以後、ドイツ出張、陸軍省軍務局付、軍務局課員、参謀本部員を経て、1932年(昭和7年)6月、陸相秘書官となり荒木貞夫陸軍大臣に仕えた。 1934年(昭和9年)4月、陸軍兵器本廠付となり、陸軍工兵学校教官、第3師団留守参謀、工兵第1大隊長を歴任し、1936年(昭和11年)8月、工兵大佐に進級。1937年(昭和12年)7月、関東軍司令部付(築城別班長)となり、第3軍参謀を経て同参謀長に就任し、1939年(昭和14年)3月、陸軍少将に進んだ。 1940年(昭和15年)3月、第13軍司令部付となり上海特務機関長として日中戦争に出動。1941年(昭和16年)1月、第13軍参謀長に転じ、台湾軍司令部付を経て、同年11月、陸軍中将に昇進。同時に第14軍参謀長となり、フィリピンの戦いに従軍するが、バターン半島での拙戦を理由に、1942年(昭和17年)2月、西部軍司令部付とされ、同年12月、予備役に編入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前田正実」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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