翻訳と辞書
Words near each other
・ 前田知頼
・ 前田知香
・ 前田硝子
・ 前田祇園山笠
・ 前田祇園山笠行事
・ 前田祐二
・ 前田祐司
・ 前田祐吉
・ 前田禎穂
・ 前田秀一郎
前田秀以
・ 前田秀樹
・ 前田秀次
・ 前田秀継
・ 前田穣
・ 前田穣 (タレント)
・ 前田穣 (政治家)
・ 前田章宏
・ 前田竹千代
・ 前田範子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

前田秀以 : ミニ英和和英辞書
前田秀以[まえだ ひでもち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 

前田秀以 : ウィキペディア日本語版
前田秀以[まえだ ひでもち]

前田 秀以(まえだ ひでもち)は、安土桃山時代武将前田玄以の長男。キリシタン武将でもある。
== 生涯 ==
天正4年(1576年)、織田氏の家臣・前田玄以の長男として生まれる。
父・玄以が豊臣秀吉に仕えると共に仕え、羽柴姓を与えられた。父が豊臣政権京都所司代としてキリシタンを弾圧・保護することが多かったため、その影響からキリシタンとなり、文禄4年(1595年)には正式に洗礼を受けてパウロという洗礼名を賜った。慶長元年(1596年)、秀吉の命令で父・玄以が畿内のキリシタンを弾圧するなか、秀以は密かにこれを匿ったといわれている。このようなこともあり、嫡男・秀以がキリシタンであることを理由に改易されるのを危惧した父・玄以は棄教するように促したが、秀以はこれに応じず、弟の茂勝に家督相続権を譲って前田家と離縁した。一説には玄以の怒りに触れて追放されたといわれる。なお、父から家督を譲られたという説があるが、玄以は秀吉死去の寸前に五奉行として豊臣政権に参与していることから、これは考えにくい。
慶長6年(1601年)閏11月6日、死去。享年26。一説に父の命令で自害に追い込まれたとも、殺害されたともいわれる。弟の茂勝とは仲が良かったらしく、兄の葬儀に際してはキリスト教式の葬礼を行なったとされる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「前田秀以」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.