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前神寺(まえがみじ)は、愛媛県西条市州之内にある真言宗石鈇派総本山の寺院。石鈇山(いしづちさん)、金色院(こんじきいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所霊場の第六十四番札所。日本七霊山の1つ、石鎚山 (1981m) の麓に位置する。 ご本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん ご詠歌:前は神 後は仏 極楽の よろずの罪を くだくいしづち == 沿革 == 役小角によって開かれた霊峰石鎚山 (1981m) の麓にあり、役小角が石鎚山で修行を積んだ後、蔵王権現を感得し蔵王権現像を彫り、後に病気平癒を祈願し成就した桓武天皇(782年〜805年)によって七堂伽藍が建てられ金色院前神寺として開かれたと伝えられる。文徳天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇、順徳天皇、後醍醐天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かったことでも知られる。 後に空海(弘法大師)も巡錫している。このとき空海は2度石鎚山を登ったといわれる。当寺は、横峰寺とともに山頂の弥山に存在する石鉄権現の別当寺にあたり、東側の遥拝所でもあった。 江戸時代には西条藩主である松平家の信仰も集め松平氏は東照宮をまつり、三葉葵の寺紋を許した。本寺は里前神寺と称されることもあるが、これは海抜1500mあたりにある前神寺の出張所を奥前神寺と呼び区分するためでもある。奥前神寺は本来、現在の成就社であったが、本寺の神社部門が、明治の神仏分離令により分離独立し、奥前神寺と里前神寺ともに石鎚神社となり、当寺は廃寺となる。その後、1878年(明治11年)に現在地に里前神寺が再興され、さらにロープウエイ山上駅の上に奥前神寺ができて現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前神寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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