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劔持 節雄(けんもつ たかお、1953年5月16日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手→外野手)。1980年途中から1985年までの登録名は「劔持 貴寛(けんもつ たかひろ)」。 == 来歴・人物 == 岡山日大高(現・倉敷高)では2年生からレギュラー。遊撃手、控え投手として1970年夏の甲子園予選東中国大会決勝に進出するが、岡義朗、守岡茂樹のいた岡山東商に敗退〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。翌年も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。 1971年ドラフト2位で広島入団。1974年より外野手に転向するが、二軍暮らしが長かった。1978年11月望月卓也、平田英之と共に金田留広、渡辺秀武との3対2の交換でロッテに移籍。徐々に力を付け、1982年には芦岡俊明と右翼手の定位置を争う。同年は規定打席未満ながら、チャンスメーカーとして打率.264の好成績を記録した。翌年も活躍するが、1984年には有藤道世の外野手転向、高沢秀昭の台頭により出場機会が激減。同年11月、田野倉利長との交換で中日に移籍、1985年限りで現役引退。現在は地元岡山にて少年野球指導などを行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劔持節雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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