|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 劉 : [りゅう] 【名詞】 1. axe 2. kill ・ 先 : [せん] 1. (n,adj-no) the future 2. priority 3. precedence 4. former 5. previous 6. old 7. late
劉 先(りゅう せん、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の政治家。荊州零陵郡の人。字は始宗。甥に周不疑がいる。 == 正史の事跡 == 劉表配下。博学、強記で老荘の学を好み、漢代の故実に通じていた。 劉表の軍師蒯越">蒯越、従事中郎の韓嵩と共に、曹操への降伏を劉表に早くから説いていた。建安13年(208年)、曹操が荊州を支配すると、劉先も招聘された。劉先は漢王朝健在時に尚書に任命され、魏が建国されると尚書令に任命されている。 以上の事跡のみからでは、劉先は単なる降伏主義者でしか無いように見えるが、『零陵先賢伝』によれば、彼の真価を物語る以下のような逸話もある。 劉表配下であったとき、劉先は劉表の使者として曹操と会見する機会があった。「劉表殿は(献帝のいる許に来ず)どうして郊外で天を祀られたのか」と曹操が問うと、「凶悪な者どもに道を阻まれているからです」と劉先は答えた。「凶悪な者どもとは何か」と曹操が問うと、「眼に映るものが全てそうです」と劉先は平然と答えた。「私には大軍がある。服従しないものなどない」と曹操がさらに答えると、「軍事力に頼り残忍な行為をする者は、現代の蚩尤・智伯でしかありません」と劉先は非難した。 曹操は不機嫌に黙り込んだが、劉先を武陵太守に任命した。その後の劉先の出世は、むしろ曹操の度量を物語る逸話となっている。またこの逸話は、結末こそ全く異なるが、『演義』において、劉璋配下の張松と曹操が対面した際の逸話の元の1つである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉先」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|