翻訳と辞書
Words near each other
・ 劉台子遺跡
・ 劉向
・ 劉和
・ 劉和 (後漢)
・ 劉哲
・ 劉唐
・ 劉啓
・ 劉喜
・ 劉喜 (代王)
・ 劉喜 (驍騎将軍)
劉嘉
・ 劉嘉玲
・ 劉因
・ 劉国梁
・ 劉国正
・ 劉園駅
・ 劉坤一
・ 劉坦
・ 劉執嘉
・ 劉培緒


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

劉嘉 : ミニ英和和英辞書
劉嘉[りゅう か]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
 【名詞】 1. axe 2. kill 

劉嘉 : ウィキペディア日本語版
劉嘉[りゅう か]

劉 嘉(りゅう か、? - 39年)は、中国代から後漢時代初期の武将、政治家。荊州南陽郡蔡陽県(湖北省棗陽市)の人。字は孝孫。父は劉憲。伯父は舂陵侯劉敞。子は劉廧、劉参。従兄弟は劉祉。妻の兄は来歙。新末後漢初における漢宗室出身の武将。
== 事跡 ==

=== 反新蜂起 ===

劉嘉は幼くして父親を亡くし、一族である劉秀(後の光武帝)の父・劉欽に我が子のように養われた。後に、劉嘉は劉縯(劉秀の兄)と共に長安に遊学し、『尚書』『春秋』を学んだ。その性格は仁慈に厚かったという。
地皇3年(22年)11月、劉縯が新王朝への蜂起を計画し、劉嘉は劉縯の指示で新市軍の王匡、平林軍の陳牧の下に使者として赴き、劉縯らの舂陵軍と連合させた。この時、劉嘉は、劉玄(後の更始帝)に従ったとあり、平林軍に従軍したようである。年末の小長安聚(南陽郡育陽県)の戦いで連合軍が新軍に敗北した際に、劉嘉は妻子を失った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「劉嘉」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.