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劉昞 : ミニ英和和英辞書
劉昞[りゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
 【名詞】 1. axe 2. kill 

劉昞 ( リダイレクト:劉ヘイ ) : ウィキペディア日本語版
劉ヘイ[りゅう]

劉昞(りゅう へい、生年不詳 - 440年頃)は、中国五胡十六国から北魏にかけての学者は延明。本貫敦煌郡
== 経歴 ==
劉宝の子として生まれた。14歳のとき、博士の郭瑀の下で学んだ。郭瑀の弟子は500人あまりおり、経に通じた者も80人あまりいたが、郭瑀は娘の婿として劉昞を選んだ。
後に劉昞は酒泉に隠居し、州郡の召命に応じなかった。劉昞の講義を受ける弟子は500人あまりいた。西涼李暠に召されて、儒林祭酒・従事中郎となった。李暠が古典の文章を好んだため、劉昞は重用された。撫夷護軍となり、政務のさなかでも、書巻を手放さなかった。『略記』130篇84巻、『涼書』10巻、『敦煌実録』20巻、『方言』3巻、『靖恭堂銘』1巻を著し、『周易』・『韓子』・『人物誌』・『黄石公三略』に注釈して、当時の世に通行した。
沮渠蒙遜が酒泉を占領すると、劉昞は秘書郎に任じられた。西苑に陸沈観を築き、「玄処先生」と号して礼遇された。沮渠牧犍は劉昞を尊んで国師とし、属官たちに命じて北面して講義を受けさせた。同じく敦煌郡出身の索敞と陰興を助教とした。
北魏の太武帝涼州を平定すると、劉昞は楽平王従事中郎に任じられた。涼州の人々は東の内地に移されたが、70歳以上の者は郷里に留まることを許され、劉昞は老年のため姑臧に残った。1年あまりして、郷里の敦煌に帰ろうとして、涼州の西400里の韭谷窟で病のために死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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