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劉 粋剛(りゅう すいこう、1911年2月 - 1937年10月26日)は、中華民国空軍の軍人。戦闘機操縦士で日中戦争時に活躍したエース・パイロット。階級は空軍上尉(大尉に相当)、死後少校(少佐に相当)。遼寧省昌図県出身。「空の趙子龍」などと呼ばれた。 == 経歴 == === 空軍入隊まで === 満州遼寧省出身の劉は、若い頃から「工業救国」の思想を持ち、高等小学校卒業後、瀋陽市にある遼寧省立第一工科学校に入学した。満州事変勃発により、北平へ避難、後に南京に赴き1931年に中央陸軍軍官学校第9期歩兵科に合格した。1932年には前年に設立された中央航空学校(筧橋航校)に厳格な試験と体格検査に合格、第二期生として飛行技術を学んだ。1934年末に中央航校第二期駆逐科は卒業試験を実施、最も優秀な成績を収めた。中華民国空軍における空中射撃記録の最優秀記録保持者は2名、一人は“空軍戦神”高志航、そしてもう一人が劉粋剛である。 1934年12月の航空学校卒業後、駆逐(戦闘機)第1大隊に准尉見習士官として着任。その後准尉見習士官から少尉飛行隊員へ、更に中尉分隊長に昇進、1937年には大尉として駆逐第5大隊第24中隊長に昇進し、隊を率いて南昌駐防の任に就いた。当時の第5大隊は中央航校卒業生の“清一色”で、大隊長は丁紀徐であった。 隊に配備されていた戦闘機はで、劉粋剛の乗機は“2401号”であった。2401号機は、シリンダー容積を増やし馬力を強化した特殊型で、上昇力と運動性に優れていた〔中山、240頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉粋剛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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