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劉 紀文(りゅう きぶん)は中華民国(台湾)の政治家。中国国民党(国民政府)で主に財務・会計を担当した人物で、胡漢民・孫科ら広東派の一員でもあった。字は兆銘、兆鎔。 == 事跡 == === 清末民初の活動 === 1910年(宣統2年)、広州起義に参加し、同年に中国同盟会に加入した。1912年(民国元年)、日本に留学し、1914年に中華革命党が成立すると、総務部幹事を務めた。同年、早稲田大学に入学し〔徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』2485頁、劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』482頁による。『最新支那要人伝』211頁、Who's Who in China 4th ed.,p.271は法政大学としている。〕、1917年に卒業している。 帰国後は上海で中華革命党事務所で財務を担当し、同年9月、広東軍政府財政部検事、広東省金庫監理、広州市審計処処長などを務めた。1920年(民国9年)、陸軍部軍需司司長となり、1923年(民国11年)3月、広東大本営審計局局長兼金庫長となった。その後、大本営軍需処処長に転じ、さらに欧州へ経済状況の視察に赴き、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス〔徐同上、劉同上による。『最新支那要人伝』211頁とWho's Who in China 4th ed.,p.271は、ロンドン大学としている。〕で2年、ケンブリッジ大学で1年、それぞれ経済学を研究している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉紀文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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