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劉 郁芬(りゅう いくふん)は中華民国の軍人。初め北京政府、国民軍、後に南京国民政府(汪兆銘政権)に属した。馮玉祥配下の「五虎将」の1人(他は張之江・鹿鍾麟・宋哲元・鄭金声)と目された人物である。字は蘭江。 == 事跡 == 保定速成学校を卒業。雲南省に向かい、中国同盟会に加入した。 辛亥革命後は北京に戻り、陸軍軍事学校で職に就く。陸軍第10混成旅参謀長、第11師参謀長、第11師第22旅旅長を歴任した。1924年(民国13年)、馮玉祥が組織した国民軍の第2師師長に任命される。1925年(民国14年)、代理甘粛軍務督弁に就任した。 1926年(民国15年)9月に馮が五原誓師を行うと、劉郁芬は正式に甘粛督弁に任命された。中国国民党の北伐の際には、第7方面軍総指揮兼甘粛省政府主席に任命された。1929年(民国18年)、馮玉祥が蒋介石との内戦を開始すると、馮の下で第3路軍総指揮、第2軍団総司令となる。1930年(民国19年)の中原大戦では、後方総司令兼代理陝西省政府主席として後方を守った。しかし、馮の敗北とともに、劉も下野した。 1931年(民国20年)に復帰し、冀察政務委員会委員をつとめる。しかし、1933年(民国22年)に再び引退して北平に寓居した。 1940年(民国29年)、汪兆銘(汪精衛)の南京国民政府に参加し、開封綏靖主任に任命された。1942年(民国31年)には、軍事委員会総参謀長に就任している。 1943年(民国32年)4月2日、北平で病没。享年58。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉郁芬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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