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加々美 光行(かがみ みつゆき、1944年3月19日 - )は、日本の現代政治思想の研究者。愛知大学現代中国学部名誉教授。同大国際中国学研究センターフェロー。 国家論から説き起こした文化大革命研究や民族問題研究で知られる。大阪府布施市(現・東大阪市)生まれ、東京都杉並区育ち。 == 研究及び社会活動 == アジア経済研究所に在職時代の1972年から80年まで哲学者の市井三郎と共同で山梨県大月市で畑を開墾し農耕に従事。その後、1982年から87年まで市井三郎、山口一郎(孫文記念館館長)、渡辺一衛、山本恒人、田辺義明らと「文化大革命研究会」を組織。そのかたわら1980年から竹中労、太田竜らと「現代史研究会」を組織、同じ頃、小坂修平、笠井潔らと「マルクス葬送派」を形成していた晩年の戸田徹と親交を持つ。85年に「現代史研究会」を解散し、竹中労、玉城素、玉川信明らと新たに「風の会-講座にっぽん百年」を組織したが、91年に竹中労の死去とともに解散。1989年以後、90年代半ばまで国際問題研究協会の運営に武者小路公秀(会長)、進藤栄一(理事長)、板垣雄三、吉田勝次らと携わる。 1991年に愛知大学に移籍後は、1992年に北朝鮮ピョンヤンを訪問。1995年以後、日本初の中国研究専門学部である現代中国学部の創設に石井吉也(学長)、江口圭一らと尽力、その初代学部長となる。その際、中国天津市の南開大学に日本初の日中共同教学宿泊施設として「南開愛大会館」を設立した。さらに2002年には国際中国学研究センターの創設に山本一巳、高橋五郎らと尽力し、その初代所長として中国とだけでなく、欧米・アジアとの国際学術交流の場として発展させることに貢献した。とくに中国学の方法論に関して溝口雄三、金観涛らと5年間に及ぶ共同研究を展開したが、その視点は常に等身大の「イノチ」に置かれ、国家と民族の境界を超えて問題を抉り出しつつ解決を模索する方法論(共同行動論)を提起している。1992年から95年まで朝日新聞書評委員を勤める。1997年から98年まで朝日新聞名古屋版のコラム風に聴くを執筆担当。2000年1月から6月まで中日新聞及び東京新聞のコラム紙つぶて 放射線を執筆担当。1988年から2010年まで日本現代中国学会理事。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加々美光行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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