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加久見 左衛門(かぐみ さえもん、生没年未詳)は、戦国時代の武将、土佐国の豪族。土佐一条氏の家臣。加久見城城主。 加久見氏は古くから幡多郡を根拠としていた国人領主で、土佐一条氏の祖である一条教房が幡多荘に下った時に当時の当主・加久見宗孝はこれを迎え入れた。宗孝はその功労によって応仁2年(1468年)12月に一条家家司がしばしば任じられていた土佐守に補任(『大乗院寺社雑事記』文明元年5月15日条)され、近侍していた娘(教房に同行した町顕郷の養女となる)は、教房に愛されて一条房家を生むなど、一条氏傘下の国人領主の中でも特別な地位を占めていたとされる〔市村高男「海運・流通から見た土佐一条氏」(市村高男 編『中世土佐の世界と一条氏』(高志書院、2010年) ISBN 978-4-86215-080-6)〕。 一条兼定の追放後、平素からその子・内政を擁立し専横につのっていた家老衆に反感を抱いていた大岐左京進、大塚八木右衛門、江口玄蕃、橋本和泉らと謀り、にわかに兵を挙げて中村を襲い討伐した。しかし、この事が敵対する長宗我部氏の介入を招き、結果的に土佐一条氏の衰亡を早める結果となった。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加久見左衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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