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加古川城(かこがわじょう)は播磨国印南郡〔当時、加古川村は印南郡に属していた。加古郡に編入されたのは1889年(明治22年)〕加古川村(兵庫県加古川市加古川町本町)にあった日本の城(平城)である。現在、城跡は称名寺となっている。 == 概要 == 加古川城は糟屋有教によって築城され、播磨では白旗城についで古い城であった。当時の城は、石垣を高くして、中央に物見櫓を設けられていた。城壁には矢、鉄砲の発射のための大小の孔が空けられていた。外部は塹壕をめぐらして、逆茂木を設け、敵が容易に接近できないようにした。 天正5年(1577年)、羽柴秀吉らによる毛利氏討伐の軍議がこの城で開かれた。その後、元和元年6月15日(新暦1615年7月10日)に破却された。現在、城跡は称名寺となっており、遺構は皆無と言って良い状況だが、付近には堀と思われる水路が存在するなど地形に微かに痕跡を留めている。城のあった場所は、加古川町本町字城開地と表示されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加古川城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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