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加古川秀五郎 : ミニ英和和英辞書
加古川秀五郎[かこがわ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古川 : [ふるかわ]
 【名詞】 1. old river 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ご]
  1. (num) five 

加古川秀五郎 ( リダイレクト:小野錦仁之助 ) : ウィキペディア日本語版
小野錦仁之助[おのにしき じんのすけ]
小野錦 仁之助(おのにしき じんのすけ、1909年11月2日 - 1948年1月30日)は、兵庫県加古川市出身で1930年代に活躍した大相撲力士。本名:前田 仁之助(一時期、岡安)。身長179cm、体重94kg。最高位は西前頭11枚目(1933年5月場所)引退後は一時期部屋も経営した。
== 来歴 ==
大坂相撲小野川部屋に入門したが、すぐに東西合併となり、大阪では番付にはつかなかった。1927年1月の合併最初の場所に序ノ口番付につく。1932年5月場所に十両、1933年5月場所に入幕を果たす。幕内には定着できず、すぐに十両に安住するかのように、十両在位が長かった。最高位は新入幕の場所の西前頭11枚目である。1935年1月、再入幕(結果的に最後の幕内在位場所となった)から、師匠のしこ名の加古川を継ぐ。その後1942年1月場所限りで引退するまで、7年間にわたって十両にいた(途中1場所だけ幕下に陥落した)。この間、小野川部屋の複雑な経緯(小野川部屋の項目参照)のために、所属部屋は、小野川-陣幕-小野川-陣幕と変った。
1942年1月場所限りで引退し、年寄小野川を襲名、一時期は部屋も経営したが、1945年6月場所を最後に廃業した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小野錦仁之助」の詳細全文を読む




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