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安房勝山藩(あわかつやまはん)は、安房国平郡の勝山陣屋(現・千葉県安房郡鋸南町勝山)に藩庁を置いた藩。 1668年以降、酒井氏(若狭小浜藩の分家)が藩主を務め、明治維新まで9代約200年にわたって存続した。これは安房国に藩庁を置いた藩の中で最長である。酒井家時代の石高は1万2000石で、所領は越前国・上野国にも存在した。明治維新後は加知山藩(かちやまはん)に改称した。 == 藩史 == === 前史 === 安房国北西部、浦賀水道に面した勝山は良港の所在地である。戦国時代、港を見下ろす八幡山に内房正木氏の勝山城が築かれており、戦国大名里見氏のもとで水軍の拠点となっていた。 天正18年(1590年)の小田原征伐ののち、里見義康に安房一国9万2000石が安堵された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで義康は東軍に与し、12万2000石まで加増されている(館山藩)。しかし慶長19年(1614年)、義康の子・里見忠義は大久保忠隣失脚に連座して安房国を没収され、伯耆倉吉藩に移封(実質的に流罪)された。以後、安房国は小藩や旗本領、他国の藩の飛地領によって細分化されることになる。勝山の地は、館山藩領の接収に従事した上総国佐貫藩主内藤政長に与えられ、4万5000石の所領の一部となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安房勝山藩」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Awa-Katsuyama Domain 」があります。 スポンサード リンク
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