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加納 夏雄(かのう なつお、1828年5月27日(文政11年4月14日) - 1898年(明治31年)2月3日〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus 〕)は、幕末から明治期に活躍した金工師。京都出身。 == 略伝 == 京に生まれる。本姓は伏見。7歳で刀剣商の加納治助の養子となると、ごく自然に鍔や柄の美しさに見せられると見よう見まねで鏨を握るようになった。その才能を認めた養父母の勧めで12歳の頃から彫金師奥村庄八の元で修行し、線彫り、象嵌などの技法を身に着けた。14歳で円山四条派の絵師・中島来章に師事し写実を極める。1846年19歳で金工師として独立、6年後江戸に移り神田に店を構え小柄や鐔などに生命を宿すことに心血を注ぐ。 鏨を斜めに方向け片側で彫ってゆく片切彫を得意とした。1869年明治維新を迎えると新政府から新貨幣の原型作成を依頼される。当初はそれを元にイギリスで型を作る予定だったが見本を見たイギリス人技師がその完成度の高さから辞退、そのため新貨幣はデザインから型の制作まで全て加納に一任された。 1876年廃刀令が交付されると多くの同業者は廃業に追い込まれるが、加納は注文が引きも切らず煙草入れや根付の名品を作り続ける。またその気品ある作品は海外でも人気を博し、その名は世界中に知れ渡った。 1890年第三回内国勧業博覧会で百鶴図花瓶が一等妙技賞を受賞し、その後宮内省買い上げとなり、明治宮殿桐の間に飾られたと伝えられる。またこの年東京美術学校の教授に就任し、さらに第1回帝室技芸員に選ばれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加納夏雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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